you-kiki0612’s blog

今までずっと抱えてきた思いをブログを通じて気持ちを整理したいと思っています。繊細さんの事、

コップの水の話 後編

コップの水の話  前編より続き

 

 

クソ真面目で、細かくて、

女子より気が利いて…

 

 

サークルの中心にいながら

サークルとは別に

彼女ともよろしくやって充実した

キャンパスライフを楽しんでる

どちらかと言うと敬遠していた人がいた。

 

 

おしゃれセンスは皆無な人だった。

 

 

バブル絶頂期

当時ラルフローレンのポロシャツを

襟を立ててボタンを開けて

シャツアウトで着るのが

流行っていた。

 

 

 

その人はシャツインして

きっちりベルトして

襟も第一ボタンまで締めて

見るからにダサかった。

 

 

でも何故かいつも彼女やら女友達に

囲まれていた。

ダサい…

やだ

この人と歩きたくない‥

 

 

KANちゃんと呼ばれていた。

 

 

その人とは

それまであまり話した事もなく

短大残り3ヶ月の

飲み会で話をする事になった。

 

 

私 「 やっとサークルに溶け込んで

   楽しくなってきたと思ったら

   もう卒業…。

   あと3ヶ月しかないよ…。」

 

 

KAN     「あと3ヶ月じゃなくて

    まだ3ヶ月あるんだよ!

   

    まだまだ出来ることはあるよ。

    残りの時間思いっきり

    楽しもう!」

 

 

って

言ってくれた言葉が心に染みた。

 

 

 

コップに半分ほど入った水を

 

『まだ半分もある』

   

     と思うか

 

『あと半分しかない』

 

 

と捉えるかは自分次第だと言うのだ。

起きている事柄は変わっていない。

その出来事を楽観的に考えるか

悲観的に思うかは自分の心が決める。

 

 

KANちゃんの言葉が刺さった。

 

 

ダサくて面白くない人だけど

人が集まってくる理由が

その日話してみて

わかった気がした。

 

 

 

コップの水の話は

その後の私の人生で

たびたび思い出され教訓になった。

 

 

 

全くの余談なのだが…

 

 

そのKANちゃんとは卒業後

約10年の空白の後

 

 

劇的な再開が待ち受けており

 

 

なぜか結婚

 

 

ダサくて

真面目で

一番嫌いなタイプだったのに…

 

 

 

そして今日に至っている。

 

 

 

人生とはわからない…

 

本当にわからない…

 

不思議だぁ。

コップの水の話 前編

短大の時

当時バブル絶頂期

 

 

田舎から出てきて

青が散る」のテレビドラマに影響受け

 

    大学 = テニス

 

お約束のようにテニスサークルに入った。

 

 

人数がめちゃくちゃ多くて

男女の比率は2:8くらいで

断然女子の人数が多かった。

 

 

よっぽど可愛いか

面白い子じゃなければ

お呼びじゃないというか

声も掛からない。

 

 

ずっとバスケしかやってこなくて

私服と言えばジャージ

髪の毛もショートでボサボサ

女子校育ちの私は

気後れして中々

輪の中に入れずにいた。

 

 

サークルを掛け持ちして

バイトもしてたから

余計全てが中途半端だった。

 

 

たまーにサークル活動に

参加するものの

楽しくない…

 

 

私自身自ずから

楽しもうとしてなかったから

しょうがない。

 

 

当時流行していたブリっ子。

聖子ちゃんカットで

絵に描いたようなブリっ子がいた。

声も高くて

すぐ泣いて

華奢で…

私にはないものばかり。

わたしは奴らのようにはなれない。

男に媚びる事なんか出来ない。

 

 

当時の私は

容姿だけではなく

性格も可愛くなかったと思う。

 

 

浮いていた。

輪に入れない。

入らなかったのか?

自分で壁を作って

ガチガチにバリアして…

 

 

キャピキャピに恋愛も楽しんで

サークル活動を満喫している

彼らを見て

 

     "軽蔑”

 

という方法でなんとか

自分のプライドを保っていた。

 

 

2年という短大生活は本当に

あっという間だった。

 

 

卒業後

地元での就職が決まり

この生活も

あと残り数ヶ月。

 

 

あれはたしか忘年会

居酒屋での事だったと思う。

 

 

後編に続く

 

「あんな検査」って… 後編

前編より続き

 

 

良かれと思って言った何気ない言葉が

長男 仙ちゃんを傷つけていたなんて

 

   『 あんな検査 』

        しなきゃ良かった…

 

 

という一言が

どうやら

悪かったようだ。

 

 

 

ディスレクシアの検査に

辿り着くまでにもまた紆余曲折が

あった。

 

 

話がごちゃごちゃしちゃうので

今回はかいつまんで話すが

検査そのものを受けたのは

中1の夏休みだったと思う。

 

 

ディスレクシアというものを

説明欄、概要欄で

貼り付ける術は私にはないので

ご存知という前提で話を進めます。

 

 

ディスレクシアとは

日常生活には全く困らないが

読み書きが少し困難な人の事

日本語だと書字障害と言うそうだ。

 

 

当時に比べたら世間的にも

だいぶ認知されてきたが

まだまだな現状。

 

 

 

 

障害とつくので

私も当事者の仙ちゃんも

受け入れ難いものがあった。

 

 

 

高校受験を経て

希望の高校でも相当頑張った。

 

 

学び方を変えたら

 

   『 僕にも出来る!』

 

と自信がつき

推薦で大学にも入った。

 

 

 

 

彼は彼なりに相当悩んだのだという。

 

 

 

しかし

自分の中で咀嚼して

前向きに捉えて

ディスレクシアと共存というか

認めて生きていこうと

思っていた矢先

私が否定した言葉 

 

     "あんな検査"

 

という言葉を使った事で

仙ちゃんの心を閉ざしてしまったのだ。

 

 

 

「母さんは

  俺がディスレクシアだったら

     嫌なの?」

 

 

あーそうか…

 

そういうことか…

 

 

私が検査させたのに

私自身が

受け入れられていないって事か…

 

 

 

結局

4月下旬

私が体調崩し

薬漬けの病院通いになり

不憫に思ったのか

元の優しい仙ちゃんに戻った。

 

 

 

 

まだまだ

私の葛藤は続く…

「あんな検査」って… 前編

 

たしか

 

 

大学の奨学金の話をしていた時だった。

 

 

ディスレクシア(書字障害)の長男

(以下 仙ちゃんと呼びます)

 

にとって

何十万とか

何百万とか

それ以上の数字は

どうも読むのが大変な事らしい…

 

 

 

例えば

      4.543.310

 

とか

    37.513.871

 

 

正直言って

私自身も数字は苦手なので

一瞬ひるむのだが

まぁなんとか読める。

 

 

 

奨学金の話繋がりでの事

 

 

アルバイト先で

レジ締めだったり、

お金を扱うのが苦手なんだと言って

ポロポロと

涙を流し始めた。

 

 

         おいおい

                  冗談だろ?

 

 

と思っていたら

マジ泣きだった。

 

 

ひとしきり泣いて…

 

 

 

 

仙  「でも!

    俺が一番苦手としてる事で

    ずっと避けてきた事だから

    今度は逃げないよ!」

       

 

       

私  「辛かったら

    逃げても良いんだよ。 

    

    母さんが敏感過ぎたから

    悪いんだね…

              

              "あんな検査"

    (ディスレクシアの検査)

    しなきゃ良かったね…

 

             仙ちゃんを

    こんなに苦しめるなら…

 

             ごめんね…

       本当にごめん…」

 

 

そう言って私も泣いた。

 

大学生の息子に

気持ち悪いかもしれないが

頭なでなでして

肩を抱き締めて一緒に泣いた。

 

 

 

そこで丸くおさまると思いきや

逆に

仙ちゃんが心を閉ざす事に

なろうとは…

 

 

 

良かれと思って言った言葉が

まさか

仙ちゃんをそんなにも

傷つけていたなんて…

 

 

これが

2020  2月の頭の話

 

 

ここから4月下旬まで

仙ちゃん

私と口を聞かなくなる…

 

 

 

後編に続く

母と姉とT君

 

それまで家族の中で

陽キャラでおちゃらけ担当は私だった。

 

 

おとなしくて

陰キャラというか控えめ担当は姉

 

 

立場は気付かないうちに

段々に逆転していった…

 

 

 

 

4つ上の姉は

中1でボーイフレンドが出来た。

 

 

運悪くボーイフレンドのその彼は

母の教え子だった。

 

 

 

当時

A小学校とB小学校が合体して

AB中学校になった。

 

 

私と姉はA小学校出身。

 

母はB小学校の教師、

そしてT君はB小学校出身だった。

 

 

 

お堅い感じで

あまり融通のきかない母にとって

T君の印象はあまり好ましくは

なかったようだ。

どちらかというとヤンチャで

教師側からすれば手を焼いたのだろう。

 

 

 

最初から母は大反対だった。

 

よりにもよってなぜ…

 

 

 

時に涙を流してまで

別れさせようと必死だった。

 

 

 

別に私は

どちらでも良かった。

 

 

どちらの味方をするでもなく

母と姉の攻防は

私の知る限り10年以上

2人が別れるまで続いた。

 

 

 

 

今にして思えば

 

こういう人を選べば反対される。

こういう事をすれば母を悲しませる。

こういう事を言えば母を怒らせる。

 

 

という事を2人の攻防戦を見て

自然に学んで

身につけたのかもしれない…

 

 

 

全てを

母と姉のせいにするつもりはない。

 

 

 

しかし

私の人格形成に多大な影響を

及ぼした事は確かだ。

 

 

 

罵られ

激怒され

涙され

時に母が寝込む事があっても

それでも

姉は自分の気持ちを優先させた。

 

 

 

そう…

 

     自分軸…

 

 

 

 

私には出来ない。

   とても出来ない…。

 

 

 

 

自分の気持ちより

 

 

これは母が喜ぶだろうか?

これは母を悲しませないだろうか?

 

 

を優先させてきた。

 

 

 

    他人軸…

 

 

          母軸…

 

 

の始まり。

 

 

 

 

これも私の思考の癖を

作り上げた

ひとつのきっかけかもしれない。

 

朝6:05のウォーキング 後編

朝のウォーキングが

続けられるのには

もうひとつ理由がある。

 

 

2021年の元旦

仕方なく海へ行って以来

(よろしかったら

  "海の近くに住んでいるのに"前編後編を

   ご覧くださいませ)

ウォーキングのコースを変えた。

 

 

それまでとは逆方向

 

毛嫌いしていた海へ…

 

 

 

1月

6:05と言えば

外はまだ真っ暗だった。

 

 

でも真っ暗な中

6:30頃に段々空が明るくなって

夜明けから朝焼けに

変わっていく…

 

 

 

空が変わっていく様を

見るのが楽しみになった。

 

 

 

自分の人生と

照らし合わせて…

 

 

 

もがいてもがいて

悩んで悩んで

真っ暗闇を歩いて来た

 

 

 

『夜明けの前が一番暗いんだよ』

誰かが言ってた。

 

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海から見る日の出

 

 

 

海岸には人はほとんどいない。

いたとしても

釣り人がちらほらいるだけ…

 

 

 

私のとっておきな時間

 

 

 

傾斜している砂浜に座って

エレカシ宮本サンのソロ曲

 

    【 夜明けのうた  】

 

を一曲聞いてから帰る。

 

 

イヤホンが苦手なアラフィフは

直接スマホから音を聞く。

 

 

   …   月の夜も

     強い日差しの日も

        歩みを止めない …

 

 

  …   時に

    悲しみに打ちひしがれて

 

 

   ふと忘れたふりしてた涙が

     頬をつたうよ  …

 

 

  

  …  悲しい時も

      うれしきときでも

 

     歩みを止めない   …

 

 

歌詞が良いのはもちろん

後半で曲調が変わって

 

 

 

   ♯ ああ〜 ♪

 

      町よ〜

 

        夜明けが来る場所よ〜 ♪

 

 

のサビで

毎回

感極まって泣きそうになる。

  

 

 

そして

 

   『  ヨシっ!!  』

 

 

 

気合いを入れる。

 

 

 

景色に感動して

歌に感動して…

 

 

これだけ感受性豊かなもの

HSP(繊細さん)の長所。

 

 

 

今まで

短所だと思っていた事が

逆にありがたく思えてきた。

 

 

 

そんなわけで

朝ウォーキングは

継続中です。

海の町に住んでるのに…後編

前編より続き

 

 

2020  12月

事態は深刻かつ最悪の状態に…

 

 

夫は電車通勤

通勤途中でパニック起こした

と…

 

 

毎朝騙し騙し送り出すのだが

帰宅するまで

こちらも気が気ではない。

 

 

病院行って

精神安定剤を処方してもらう。

 

 

 

正月休み

毎日毎日能面の様な顔で

ソファに座り

TVはついているが

心は遠くを見ている夫。

 

 

 

励ましたり、

慰めたり、

叱責したり…

あの手この手で対応するが

反応はない。

 

 

 

ぴょん吉

(わが家の次男坊です)

 

受験生なんですけど…

 

 

父親が

こんなんじゃ平静でいられないよぉ…

 

 

 

 

2021  元旦

 

夫は毎年欠かさず

海岸で初日の出を拝む。

 

 

しかし今年は起きる様子がない。

 

 

私も相当ストレスが溜まっていたのだろう。

 

 

「 いつまでも  

         イジイジ イジイジ…

 

  被害者ぶってんじゃねーよーっ!

 

  オラ!

 

  行くよ!」

 

 

今思うとかなりの荒療治だが

布団を引っ剥がして

無理矢理外へ連れ出す。

 

 

カメの歩み

 

 

まるで介護老人との散歩。

 

 

 

なんとか日の出に間に合った。

 

 

私は初日も

海も

花火大会も

祭りも

拒否してきた。

 

 

 

それが

こんな形で

初日の出を拝むことになるとは…

 

 

こんな形で

嫌いだった海に来る事になるとは…

 

 

 

でも

こんな事が無ければ

この土地の

徒歩圏内にある

せっかくの海へ来る事はなかった。

 

 

 

 

今まで頑なまでに拒否してきた

この地に

少しだけ歩み寄った。

 

 

2021年の幕開けだった。