you-kiki0612’s blog

今までずっと抱えてきた思いをブログを通じて気持ちを整理したいと思っています。繊細さんの事、

海の町に住んでるのに… 前編

今住んでいる所は

海まで徒歩7、8分。

 

サーファーにも人気の町…

 

 

住み始めて17年程になる。

 

 

考えてみたら

わたし

この町の海に行った事って

5回も無いかもしれない…

 

 

夏には海上花火もある

冬には海岸で祭りもある

それなのに海へは数えるほどしか

行った事ない…

 

 

大げさでなく…

多分

5回程…

それ以下かもしれない

 

 

ここに住むのを決めたのも

夫が長男で

夫が生まれ育った町だから…

成り行き上…

私にとっては縁もゆかりもない土地。

 

 

夫は意気揚々と毎日楽しそうに

過ごしているが、

私は今だにお客様気分が抜けない。

 

 

 

どうしても

どーーーしても

わが町

という感覚が生まれてこない。

 

 

 

むしろ

   嫌い…

                     なじめない…

 

 

仕方なく住んでやってる

くらいの気持ちでいた。

 

 

 

 

 

夫が

自身のふるさと愛が

強ければ強いほど

反比例して私の気持ちは冷めていく…

 

 

 

2020  10月頃

からだったと思う。

 

 

夫に少しずつ異変が…

 

 

明け方うなされる事が多くなった。

表情も固く

口数も少なくなった。

食欲もガックリ落ちた。

 

 

それまで土日と言えば

大好きな海に釣りに行き

大好きな海岸沿いを走り

同級生のやってるラーメン屋に行き

山に登り、車いじって

精力的に遊んでいたのが

バッタリなくなった。

 

 

どうやら

仕事がうまくいっていないらしい。

 

 

お客様対応…

中間管理職で上からの圧力と

下からの突き上げ…

 

 

元々人間関係においてそんなに

器用に立ち回れる方ではなかったのだが

ここへきて一気に問題が

押し寄せたのだという。

 

 

後編に続く

負の思考スパイラル回避!

いつもの自爆型

負の思考スパイラルを

回避してみた!

 

まだ完璧ではないけど…

 

 

我が次男坊

(以下 ピョン吉)

は中3で明日公立の入試。

 

 

長男の受験時

手取り足取り、転ばぬ様に、

傷付かぬ様に、安全な道へと

レールを敷いて誘導してしまった様な

気がしていた。

 

 

その反省を生かし、

次男の志望校選びはかなり自由にさせて

本人任せだった。

 

 

全て自分で決め、

親子の話し合いもほとんど無し、

出願も振り込みも本人がやってくれたので

 

『あー

   なんて楽な受験生なんだろ!』

 

たかをくくっていた。

 

 

 

本番を控えた3日前

突如、能天気と思っていたぴょん吉

 

「母さん、

  どれが正解かわかんなくなってきた。」

 

とのたまった。

 

 

自分がベストだと選択した高校を

外野に

否定され

見下されたのだと言う。

 

 

ちょうど私も時同じくして

たまたまスーパーで会ったママ友に

 

ぴょん吉なら

  もっと上狙えたのにー。

   もったいない!」

 

と言われた。

 

 

心がざわついた。

焦った。

 

 

何?何?

 

見下されている?

敗北?

 

 

いつものパターンだと

他人に言われた言葉に

怒り、嘆き、悔やんで

1人で落ち込んで

後悔また後悔

 

 

負けた…

自滅

自爆

 

 

怒りと共に恨み妬み

体は硬直し

肩凝り頭痛そして吐き気

勝手にひとりで体調不良

寝込む…

 

 

 

しかしだ!

今回は違う。

自滅しないと決めた。

 

 

 

ぴょん吉が自分で決めたんだ。

きっとあの子ならちゃんと

未来を進んで行ける。

 

 

母が信じなくてどうする。

 

 

ぴょん吉

母にとっても

神様から試験の機会を与えられた

様な気がするよ。

今までどうやっても受からなかった試験。

 

 

他人の言葉に左右されない

自分軸で生きる

という試験

 

 

母さんも試験に合格する。

 

 

 

ぴょん吉

まずは明日の本番。

 

 

健闘を祈る!

 

 

 

 

ひねくれ者

いつからだろう…

 

 

物を斜めから見る  と言うか

ひねくれている  と言うか

素直でない  と言うか

 

 

本当は大好きなのに

みんなが好きと言えば嫌いって

言ってみたり…

 

 

 

あまのじゃく

 

 

 

楽しそうにしている人の輪を

敬遠していた。

傍観しているだけならまだしも

私はきっと

人を寄せ付けないオーラを

放っていたんだと思う。

 

 

その時

その場所

その出会い

その瞬間を大切にしてこなかった。

 

 

いつもいつも楽しんでこなかった。

 

 

もっと他に良い事あるんじゃないか

もっと別に楽しい事あるんじゃないかと

 

 

その時その瞬間

 

をないがしろににしてきた。

 

 

 

選ばなかった道ばかりを悔やんで

あーすれば良かった

こーすればもっと幸せだったはず

と後悔して…

 

 

 

それが…

 

 

2020の1年間は

そんな卑屈人生から

少し抜け出せた

きっかけがいくつか重なった。

 

 

私の様に

生きづらくて

苦しくて

もがいている方々の

お役に立てたら…

 

 

お話したい事は

山ほどある

 

 

でも無理はしない

少しずつ…

少しずつ…

 

 

朝6:05 のウォーキング 前編

体を動かしたい気持ちは

ずっとどこかにあった。

 

 

冷え性もあって

肩凝りがひどくて頭は痛いし、

動悸はするし、手先のこわばり、

関節の痛み…

50過ぎたら身体のあちこちに

ガタがきた。

 

 

 

更年期障害

自律神経失調症

 

 

 

昨年4月

動脈硬化コレステロール値減らす為

お医者様から

ウォーキングを勧められた。

 

 

 

ウォーキングが体に良いのはわかっている。

 

 

さー!

生活のどこに組み入れる?

 

 

 

朝?

   夕方?

       夜?

 

 

 

うちの夫は神経質で超真面目人間。

5:00起床

6:05自宅を出て出勤

 

 

1分たりとも狂わない。

その生活はずっと変わらない。

 

 

 

まるで人間アラーム

 

 

 

そうだ!

これを利用しない手はない!

 

 

 

6:05に夫を送り出したら

私も家を出てしまえばいいんだ。

 

 

 

2020  5月25日

ウォーキングはじめる。

 

 

 

続けよう続けようと思っていても

なかなか続けられなかった。

 

 

 

それがだ!

今回は

8ヶ月以上続いている。

 

 

 

誰かに言われてだとか

競争させられてとか

強制させられて

だったら続かなかったと思う。

 

 

もう今では

生活のリズムに組み込んだのである。

 

 

 

夫が6:05に家を出る

その後

私も家を出る

 

 

 

たったそれだけ

 

 

習慣づけとはそういうもの…

 

なのかもしれない。

 

 

俺… 萎縮しちゃうんだよ…

長男        「母さん…

     俺 小学校の時

                 ドシャブリの雨の日

     なんで好きこのんで

     サッカー行ってたか知ってる?」

 

私   「えっ?

     何?

     わかんない」

 

長男       「雨の日だと○○君や○○君が

     来ないから…

     伸び伸びサッカーできるから。」

 

私   「???」

 

長男      「俺

     サッカーあまり楽しくなかった。」

     ○○達に怒られるの嫌だった。」

 

 

私   「………  。」

 

 

ちょっと待ってくれ〜!

 

 

長男は先日成人式を終えた

二十歳の大学2年生。

小学校卒業から8年経っている。

 

 

 

 

マジっ?

えっ?

 

全然気付いてなかった。

 

今日の今日まで

今の今まで

知らなかった。

 

お友達と問題なく

楽しんでいるのかと思っていた…

 

 

小学校のサッカー少年団

毎週土曜日と日曜日パパさんコーチ達が

面倒見てくれていて

小1から小6まで6年間お世話になった。

 

 

 

大雨になると練習は自由参加だったのだが

長男は

「こんな雨でも行くの?」

って日でも

子犬の様に外に飛び出していった。

 

 

 

私自身かなり応援も行ってたし、

車出しで子供達のせて送迎もしてたし、

結構頻繁に練習にも顔出していたつもりだった。

 

 

気付かなかった…

 

 

 

そう言えば…

 

 

チームの大多数が

そのまま中学の部活(サッカー部)を選ぶ中

我が長男は

セレクションも全くない

こじんまりとした

地元のクラブチームに進んだ。

 

 

本人曰く

罵ったり、

口悪くチームメイトを罵倒したりする

小学校のそのメンバーとまた

3年間

一緒にサッカーするのは嫌だったのだという。

萎縮してしまうから…

 

 

イジメられていたのとは

少し違うのだそうだ。

 

 

 

長男が

私にその話をしてきた事に

意味と意義がある。

 

 

サッカーのお話は氷山の一角。

 

 

罵声

怒号

叱責

大声

長男は小さな頃から苦手だった。

 

 

 

長男はディスレクシアである。

 

 

 

そのお話はまた後日…

 

自分史

その頃

ちょうど色々な意味でもがいていた。

 

何かを始めようと…

 

 

もがいて

さがして

彷徨っていた

 

何かを変えたくて…

 

 

 

たまたま

ヨガの体験レッスンに行ったスタジオで

『自分史』

の講座のチラシを見つけた。

 

 

これやってみよっ!

 

 

 

2020  3  3

 

 

自分史講座

初日

10名ほどの参加者だった。

皆さん70代80代の諸先輩方々ばかり。

 

 

うーむ…

 

 

場違いだったか?

50になったばかりの私は

その中ではひよっこの立場だった。

 

 

皆さん

終活の一環として

自分の人生の足跡を残したいと

受講されている方がほとんど。

 

 

私は一冊の本として残す事は

目的ではなかった。

 

 

ずっと続く体調不良、

私のこのマイナス思考の癖、

人間関係…

解決の糸口が欲しかった。

何でもいいから

とにかく何か欲しかった。

 

 

講師の先生にその旨正直にお話して

 

 

「じゃぁkikiさんは自分史年表作るより

 今の気持ち何でもいいから

 自由に書きましょう。

 エッセイ的な…

    きっと気持ちが整理されるから」

 

 

そこから気が向いた時

今起きている事、

昔のこと、

時期も時代もバラバラだけど

思いつく事書くようになった。

 

 

その後

コロナもあって途中中断もありつつも

講座は終了。

たった6回の講座だったけど、

私に変化が起きた。

大きなきっかけになった。

 

 

間違いなく動き始めた。

 

 

 

翌日

 

初めてエレカシ宮本さんを知る事に

なるのだが…

 

 

2020

3月3日と4日

そこから何かが動き始めた。

 

 

重くて分厚い石の扉が

ガガガガァーと開き

一筋の光が

洞窟に差し込んだ様な…

 

 

 

kikiちゃん

 

始動!

 

 

 

 

衝撃‼️スッキリを見て…

回想

2020  3月4日(水)の話

 

 

いつもは朝テレビをつけない。

 

なぜなら画像を目で追ってしまい

家事が手につかないから。

 

この日はたまたまパートも休み

心に余裕があったのか

たまたまテレビのリモコンのスイッチを押した。

 

去年の3月

得体の知れないコロナが気になって

ラジオの情報だけじゃなく

テレビをつけてみた。

 

 

ポチポチ…

リモコンを押して手が止まった。

 

特別理由もなく4チャン

加藤浩次さん、ミトちゃん、春菜さん…

 

 

 

ここでいっか…

 

 

 

コロナの情報がひととおり終わり

 

「次はエレカシ宮本さん

    ソロアルバム … 独歩 …」

 

なんの気無しにそのままテレビをつけていた。

 

 

「えっ誰?

   何?

    何この人」

 

 

何か不思議な人だった。

でもめちゃくちゃ興味を惹かれた。

 

 

歌になり

見入ってしまった。

体全身で歌い

スタジオも飛び出して

破茶滅茶だった。

 

 

でも

 

 

涙が出た。

 

 

目を開けたまま泣いていた。

 

 

なんでだろ。

なんで泣いてるんだろう

なんで私

泣いてるんだろ…

 

 

『50代は引きずり回して自由に向かう!』

インタビューの中の言葉が

私に凄く響いた。

 

 

クソ真面目に生きてきて

頭も体も心もガッチガチで

あの頃行き詰まっていた。

 

 

『ハレルヤ』

という歌だった。

 

 

       …まだ間に合う…

 

       …やっぱ目指すしかない…

 

       …今だから追いかけられる

      夢もあるんだぜ…

 

 

      …もういっちょ行け…

 

      …そんな俺にもういっちょ

       祝福あれ

   

        ハレルヤ〜

 

     …強くもなく   

     弱くもなく

        まんま行けー!

 

 

 

響いた。

 

 

その日から始まった。

何かが動いた。

何かが変わった。

明らかに変わった。

 

 

諦めていた私の人生。

60まで生きられたら十分と思っていた。

 

 

もういっちょ!

 

何かやれる!

やってやる!

やってみたい!

 

 

と思い始めた瞬間だった。